建築への想い
(私の物語)
私の物語
My Story
私は地方の田舎で育ちました。小学生から高校生までほとんど友達も変わらない単調な生活でした。小さい時から、形あるものが好きでよく小学生の時から札幌市や旭川市に大きな建物を見に一人でふらっと行ってました。高校に入学の時から都会に憧れ本当に札幌市には遊びにいきました。駅前に降りた時のなんともいえない高い建物を見てすごい、すごいと心の中で感じていました。
そのあたりから、建物に興味を持ち始め、田舎生活からの卒業と全くかかわったことの無い人へのあこがれ、札幌に行って建築の勉強を行おうと考え、お金が無かったこともあり、札幌の職業訓練校で勉強することにしました。
1年という訓練期間が終わり、夢でもあったインテリアデザイナーになりたくて、いろいろ求人を見ていましたがそもそも訓練校にそんな求人がくるはずもなく、クラスの中でも自分だけが就職が決まっていない状態でした。(クラスのみんなはほとんどが大工になっていました)先生が君には大工は向いていない、現場監督になったらと、1つの会社の求人を見せてもらい、2月だったのですぐ面接にいきました。猛吹雪の日駅から歩いて会社まで行き、面接を受けていろいろの話から、同じ田舎だと話してくれて、会社に勤めることにしました。
その会社に約33年勤めました。はじめは丁稚奉公みたいな感じで始まり、社長には手元が見えなくなるまで帰ってくるなと厳しい言葉を告げられ、田舎者自分は信じて仕事をしていました。
3年位はただの雑務や運転手的な役割。その後初めて現場の監督的な仕事に着きました。でもただの大工さんの話しを会社の社長に伝言するだけの仕事でした。どちらにも怒られ、不思議な感じでしたが、根が田舎ものだし周りにだれも相談できる人もいないので、そんなものかと思って仕事をしていました。でも、初めて監理した住宅が出来た時はうれしかったです。いまでも近くに行くと見てしまうぐらい自分の建築人生には記憶に残っています。
その後、順調に経験を積んでいきました。
社長に𠮟咤激励されながら、いろいろ経験し、お客様にもいろいろご提案し監督でもあり、プランナー・設計士としてたくさんの新築住宅や鉄骨・RC 収益物件など取り組んでいきました。
小さい工務店でしたが、札幌市の公共事業も行っており、はじめは、公園の便所から始まり、最後は格技場や地区センターなどの新築工事もこなしていきました。検査や書類など大変厳しかったけど、やりがいを求め、自分の探求心や技術を高めれました。
このような人生経験や建築の経験値が自分の宝物になり、人生の最後に自分で会社・人を育てたくなり、33年務め・育てていただいた工務店を退社して個人創業・2023年法人化致しました。
本当に人に求められる提案を行っていき、お仕事につなげ、お客様とつながっていきたいです。建築のゼネラリストになんでもご相談ください。水漏れから木造・RC建築 収益物件・不動産賃貸業・終活・法律相談、今持ってる知識を最大限にご提供いたします。
建築に対する思い
Thoughts on architecture
私たちの使命
私たちは、お客さまの本当に望む提案を実現することを使命としています。家族構成や生活環境が異なるお客さま一人ひとりに対し、他人の考えを押し付けることなく、じっくりとお話を伺います。そして、私たちの豊富な知識と経験をもとに、最適なアドバイスを提供し、お客さまに最高の結果をお約束します。
経験と創造性の融合
33年間の豊富な経験を背景に、革新的で実現可能な建築デザインと提案を追求しています。プランニングから設計、施工まで、細部に至るまで妥協せず、細やかな気配りを怠りません。私たちは、建築を単なる構造物ではなく、自身の分身と捉え、お客さまの生活の舞台を表現することを目指しています。
お客さまとの共創
私たちは、お客さまとの信頼関係を最優先し、共に創り上げるパートナーとしての役割を大切にしています。柔軟性と迅速な対応をモットーに、お客さまの要望に応じた最適な価値を創出し、お客さまの夢やビジョンを具体化します。そして、その価値を最大限に高めてまいりたいと考えております。
代表取締役 浦 裕志
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